11月16日    ローマ書ー10

与えられた義の祝福と富-1

 ⇒ベック兄 

ローマ5 .1〜11 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主ィエス•キリストによっ て、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵 みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。それ ばかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練ら れた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によっ て、神の愛が私たちの心に注がれているからです。私たちがまだ弱かったとき、キリスト は定められた時に' 不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死 ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしよう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったこ とにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたの なら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの 主イエス.キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。(ローマ5 .1〜11)