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祝福の結婚 ある結婚式でのメッセージ By ゴットホルド・ベック


1. 結婚とは

 結婚とは、誰もが思うように、本当は人間の幸せのためにあるべきです。みんな幸せになりたいと願っており、もし幸せにならなければすべてが空しく、意味のないものになってしまうからです。

 幸せとは何でしょうか?

 たとえ、目に見える物すべてが与えられても人間の心は満たされません。心が満たされなければ、たいていの人はすべてが空しく感じるようになります。友達がたくさんいても、人は孤独です。本当の意味で人の気持ちを理解できる人間はいないからです。人はみな寂しさを抱えています。

 もしすべてがうまく行っていたとしても、人の心の奥底には自分の罪に対する良心の呵責があります。そして、その罪滅ぼしのために人間は実際問題として何もすることができません。また、考えられないほど多くの人間が将来に対する不安また恐れによって支配されています。良心の呵責、また不安や心配から解放されることこそが、本当の意味での幸せであり、満たされた結婚生活の土台となるのではないでしょうか。


2. 結婚生活の土台: 回心

 人生において最も大切な決断を必要とするのは回心と結婚の時と言えます。この二つの決断は両方とも新しい出発を意味するからです。結婚は、今まで一人で生活し、一人ですべてを決めてきた人間が、結婚を通して二人三脚のように二人で行動し、物事を決めるようになります。 他方、回心は、今まで一人で生きてきた人間が、主イエス様と共に生活するようになります。

 人間に最も大切なのは回心であり、回心は幸せな結婚の土台となります。回心によって私たちが本当の喜びを持つことができるかどうか、また本当に報いられる人生の目標を持つことができるかどうか、という人間にとって最も大切な問題が解決されるだけではなく、死後自分がどうなるのか、どこへ行くのか、といった不安も解決されるためです。


3. 「主の祝福そのものが人を富ませ、
人の労苦は何もそれに加えない」


 昔ヤコブという人は、長い間自分の都合のみ考えて生きてきました。金儲けのためには平気で嘘をつき、自分の父親さえも何回もだまし続けてきたのです。その結果、彼は財産家となり、一見彼の人生は成功したように見えました。けれども、このような利己的な方法で成功を手にした彼の心の中には平安はまったくなかったのです。

 三千年前に天才的な知恵と英知で世界を征服した偉大なるソロモン王は「主の祝福そのものが人を富ませ、人の労苦は何もそれに加えない」 と書き記しました。このことばは聖書の箴言十章二十二節に記されています。ソロモン王は非常に富んだ頭脳と広い心を神様から与えられ、その能力は戦争なしで全世界を統治してしまうほどでした。いかなる書類を読んでもソロモン王の賢さには圧倒されます。彼はまた世界一の財産家でもありました。ここまですべてに恵まれた歴史上でも有名な王が「主の祝福そのものが人を富ませ、人の労苦は何もそれに加えない」と書いたという事実は、私たちには意外です。しかしソロモン王は、人の本当の幸せは人が労苦して勝ち取れるものではなく、主なる神様の祝福によってのみ与えられる、と確信していたのです。

 結婚においても同じです。親から祝福されることも大切ですが、それ以上に主に祝福されることこそがすべてではないでしょうか。


4. 主から祝福される秘訣

 主なる神はどういう人を祝福してくださるのでしょうか?聖書の詩篇128篇には、ダビデ王がソロモン王について書き記したことばがあります。 「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。主を恐れる人は確かにこのように祝福を受ける。」これこそが答えです。

 現在、世界で求められている人材はどういう類の人間でしょうか。誰もが想像つくように、頭脳明晰で優秀、また人間的魅力を持つ人、もしくは莫大な財産を所有する人、権力を持つ人等が当てはまります。しかし主なる神が求める人間とはこういった類の者たちではありません。主の判断は人間の判断とはまったく違うものです。主が求めるのは、心が砕かれ、みことばにおののき、主を恐れている人間です。なぜなら、そういう人々だけが祝福され得るからです。

 ある弁護士の事務所を訪問した際、壁に掛かった一枚のポスターが目にとまりました。そのポスターには大きな字で「人間はだまされやすい。」と書かれていたのです。弁護士の事務所にこのようなポスターが掛かっているということで、このフレーズがより確かな真実性を帯びていると感じました。人間は他人を判断するとき目に見える表面だけに頼るためだまされやすいのですが、主なる神は人間を本質的に理解するのでけっして間違いを犯しません。真実だけを見極められる主が聖書を通して、砕かれた心を持っていない人、主のみことばにおののかない人、そして主を恐れない人を祝福できないとはっきり言っているのです。


5. 結婚が失敗に終わる原因

 結婚は幸せのためにあるべきです。けれども、なぜ多くの結婚が不幸な結果となってしまうのでしょうか。それはお互いが自分の快楽をひたすら追い求めてしまうところに原因があります。つまり、相手のことよりも自分自身を一番大切にしてしまうところです。周りの人を顧みず自分の幸せだけを追求することは、相手も自分自身でさえも不幸にしてしまうことにつながります。

 結婚生活には大きく分けて4つのタイプがあります。
 @夫婦がお互いに対立しているケース。このような家庭には、いつでも重苦しい空気が流れ、喧嘩が絶えません。最初にあったはずの愛も消え、幸福のかけらも見れない状態です。
 A夫婦がお互いに独立しているケース。つまり一緒に住んでいても、生活そのものはお互いに独立している家庭です。お互いが相手の考えていること、苦しんでいること、望んでいることに無関心で、結婚していても二人とも孤独の中に生活しています。
 B夫婦が全てを共有するケース。仕事、買い物、子育て等、すべて一緒に相談し一緒に協力して行動するタイプです。このケースはすばらしい、理想的な結婚生活と思う方が多いと思います。しかし、これでも完全に理想的ということはできません。うまくいっているときは良くても、自分を中心に置いていれば、いつ夫婦関係が崩れるかわからないのです。
 C相手のために生活をする結婚生活。自分の主張ばかりを通さず、相手の望みに応える生活です。相手を愛し、相手を助け、相手を幸せにし、自分を低くして相手に仕え、相手の間違いを許す、という態度で結婚生活を送るケースです。これこそが理想的な結婚だと思います。

 どうして相手のために生活をするケースが最も理想的な結婚なのでしょうか?

 それは、前述したように自分のために生きることは不幸になる原因だからです。自己否定を伴わない結婚生活は悲劇となります。自分のために生きることは自己満足でしかありません。誰でも自分自身のために生き、自分が中心となりたいと望み、自分自身の願望を追求するならば不幸になります。

 以前、宮古島で海の生物を展示した博物館に行ったときのことです。様々な展示物の鑑賞後、一番奥の部屋で「世界一恐ろしい生き物」と書かれた大きな箱が置いてありました。箱には小さな穴が一つあいていたので、そこから覗いてみました。みんな見た瞬間に声を出しました。中にあったのは鏡だけでした。

 「そうか・・・。世界で一番恐ろしい生き物は自分か・・・・。」

 聖書はそのとおりだと言っています。

 人間はなにか問題が起こると他人のせいにしがちです。大切なのは誰のせいか、ということではなく、自分がへりくだることです。しかし、子供でさえ「親のせい。」、「学校の先生のせい。」、「友達のせい。」と言ってしまうのです。


6. へりくだりの根源、イエスさまの死の意味を考える

 聖書のローマ人への手紙4章25節には、イエスさまが死なれた目的について書かれています。「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」−主イエスは私たちの罪のために死に渡された。罪滅ぼしのために人間は何もできないため、イエス・キリストは永遠の初めから持っておられた栄光を捨てて、この地上に人間として現われてくださったのです。イエスさまの目的はキリスト教をつくるためではありません。イエス・キリストご自身はキリスト教とは関係のない方です。何かを教えようという気持ちでこの世に来られたのではなかったのです。目的はただ一つ、死ぬためだけでした。私たちの犯した罪ひとつひとつの罪滅ぼしを肩代わりするために犠牲になってくださったのです。これこそがイエスさまのこの世に来られた一つの目的です。

 しかし、もう一つ目的がありました。パウロが宛てたコリント人への手紙第二 5章15節に「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」と書かれています。自分のためにではなく、自分の代わりに死なれ、復活なさったイエス様のために生きることが大切、と考えるようになると人は変わります。自分のためにではなく、十字架の上で犠牲になり三日後に復活なさったイエス様のために生きることは、最高の特権であり、本当の幸せです。自分のために生きる人は的外れな人生を歩んでしまいますが、イエス様のために生きたいと望む人は間違いなく自由と幸福の中で豊かな祝福の実を結ぶようになります。人間は、自分自身を中心としてイエス様を抜きに生きるか、または自分の思いを否定してイエス様が自分の中で常に自分を通して働くことができるように願って生きるかのどちらかを選ばなくてはなりません。


7. 互いに愛するようになるために

 結婚生活は、あらゆることにおいて二人の思い、考えが出てくるため、独身のときと比べると確かに簡単ではありません。ですから、本当の結婚生活とは、問題のない毎日を送ることは無理ですから、問題や悩みを絶えずイエス様に頼って解決していく生活であるべきです。また、生まれつきの自己愛にとどまらず、本当の愛を持てるようになるためにも結婚生活があると言えます。聖書の中でペテロは、「何よりも互いに愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙第一 4章8節)」と書いています。もちろん、自分のちっぽけな愛で愛せよというのはなく、イエス様の愛をもって愛し合いなさいと言っているのです。イエス様の愛を経験した者は本当の意味で愛することができます。

 結婚生活の愛の標準としてエペソ人への手紙5章25節には次のようなみことばが述べられています。「キリストが教会をを愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」 これに対して「はい。」と答えるのは簡単ですが、現実の問題としてこれを実行するのは難しいことです。

 多くの人は聖書を誤解しています。聖書には命令が書かれているため、その命令の数々をそのまま実行しなくてはいけないと思いがちです。そのため聖書は教科書のようなものと考えている方がほとんどではないでしょうか。
 しかし聖書は教科書ではありません。
 どんなに聖書がこうすべきと書いていても、キリストが人間を愛したように夫となる人(または妻となる人)を愛そうと思っても、実際には無理です。聖書はそれだけでなく、「あなたの敵を愛せよ。」とまで言っています。そんなことはとてもできません。
 誰にもできないのに、なぜそんなことが聖書に書いてあるのでしょうか?
 それは人間が命令を守るためではありません。神はそれが人間にできないことをおわかりになっています。人間は傲慢にもそれを認めたくなく、努力すればどんなことも可能だと思いがちですが、絶対に無理です。

 自分の力ではできないと認識できる人間は幸せです。なぜならそういう人は「自分にはとてもできない。イエス様が助けてくださらなければどうすることもできません。」と祈るためです。このような祈りができると状況はまったく変わります。人間は死ぬまで駄目な者ですが、万能の主イエス様に頼ることですべてがうまくいくようになります。ですから夫婦が「イエス様、私たちは二人とも今までわがままでした。現在も変わりありません。将来もこのままでしょう。それでも、あなたは駄目な者を捨てないお方ですから、ありがとうございます。どうぞこれからも私たちをお導きください。」という態度を取れば、イエス様は確実に導いてくださいます。あなたがたの力となり、心の拠りどころとなってくださいます。

  「キリストが愛したように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」 これは本物の献身を意味します。他人である相手に対するまったき自己否定です。自己否定と献身こそが結婚の特徴となってほしいと切に願います。本当の愛とは自分の幸せではなく、相手の幸せを願うことです。相手のために自分自身をささげること、喜んで自分を犠牲にすることです。真実の愛とは、相手が喜ぶことを喜ぶことです。

 聖書には神の秩序について次のように書かれています。
 「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男である。(コリント人への手紙第一 11章3節)」
 この秩序こそ祝福された結婚生活の秘訣です。 この秩序を正しく守る者は間違いなく祝福されます。当然、男が自分の意思、理性を主なる神のみこころに従わせることは決して簡単ではありません。それどころか本当は心の葛藤さえ要するものです。同様に、女が自分の意思や感情を男の意思に従わせることも困難です。しかしこれは本当に必要なことなのです。秩序を守らない今の世の中はどうでしょうか。男は神を恐れず、主に逆らい、女は男を無視し、子供は親に立てつきます。結果として人間には悩みが常につきまとうようになってしまいました。

 女のかしらは男である、とはいっても、夫婦の関係は決して上下関係ではありません。夫が生活の主導権を持っているということに過ぎません。これは特権でもあり、また重荷でもあり得ます。常に自分が正しいと思いこんでいる人は結婚しない方がよいでしょう。何かがあって二人の間に重苦しい空気が流れるようなときは、「悪かった。本当にすまなかった。」という一言を言うことが大切です。


ビスマルク(ドイツの初代総理)が妻に宛てた手紙−

 「私はおまえを主にあって心から愛するために結婚した。私はこの世にあって外で冷たい風が吹き、凍りつくような寒い晩などに、暖炉の火が赤々と燃えている暖かい我が家を心から切に求めたがゆえに、おまえと結婚した、と言ってもいいだろう。私は暖炉のように暖かいやさしい心を持ったおまえを大切にしてゆきたいと思う。そのために私は、そのかまどの中に木の枝をくべ、火が消えないようにするために、あらゆる悪からおまえを守り、小さなともし火が風に吹き消されないように、一生懸命になりたいと思う。というのは、私にとっては主イエスのあわれみを除いては、おまえの愛よりも尊いものはないからだ。」


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メッセージ・証し集インデックスページ

 1. 結婚とは

 2. 結婚生活の土台: 回心


 3. 「主の祝福そのものが人を富ませ、
  人の労苦は何もそれに加えない」


 4. 主から祝福される秘訣

 5. 結婚が失敗に終わる原因

 6. へりくだりの根源、イエス様の死を考える

 7. 互いに愛するようになるために