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メ ッ セ ー ジ ・ 証 し 集


ベック兄の証し
   
2003.8.10.(日)
御代田・喜びのコンサートにて(メモ)

                        
 今、司会者の江藤兄が言われましたように、今日の音楽会は一つのお祝いです。司会者が、ちょっと言い忘れてしまったことですけれど、うちの娘の主人であるクリストフは、今年50歳になります(笑)。そして、クラウスとマルガレッタ・ローゼ兄姉は、結婚してから、ちょうど50年です。そして、私が初めて日本に来たのは、1953年だったのです。つまり、50年前です。

 まず、一言葉をお読みいたします。ルカの福音書17章10節です。
  「自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべ
  です。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」

ここで、はっきり言えますことは、「自分に言いつけられたことをみな、してしまった」とは決して言えない、ということです。半分しかしませんでした。もしかすると、1パーセントしかしなかったかもしれません。なぜなら私も、主を見ないで自分勝手に動いたこともありましたし、「失敗と後悔の連続だった」と告白せざるを得ないからです。確かに50年間主イエス様をご紹介することができたことは、言い表わすことのできない「恵み」であり、また「特権」です。パウロは、次のように告白しました。エペソ人への手紙3章8節です。
   すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリ
  ストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、…

「宣べ伝えるため」とあります。人生の目的を知らず、希望がなく、絶望している人々に、主イエス様を宣べ伝えられることは、確かに最大の喜びです。

 しかし聖書は、はっきり言っています。ヨハネの福音書15章5節です。
   わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

この主イエス様のみことばは、よく知られているものです。けれど、このみことばを本気
になって信じている人々は、少ないのではないでしょうか。私たちが、自分の力、また、
自分の知恵に頼ると、主は知らん顔をされて、何もしてくださろうとはしません。


 58年前、イエス様は私の心の目を開いてくださいました。ちょうどその頃に、家内の
ことも知るようになったのです。当時二人は、15歳でした。家内である当時のミンヘン
は、今ドイツから来てくださっている、妹のエミリエ姉妹に誘われて、ある集会に案内されたのです。そして彼女は、「イエス様は、私のわがままのために犠牲になられ、私の代わりに罰をお受けになられた」ということを知り、主から提供された「罪の赦し」を、自分のものにしたのです。当然のようにミンヘンは、その時から、必ず毎日曜日、集会に行くようになったのです。私はミンヘンと一緒に行きたいと思い、彼女に頼んだところ、OK
をもらいました。もちろん、その前から私は、聖書の内容を知り、毎日祈っていました。けれど、主に受け入れられ、自分の過ちが赦されているということを、まだ確信できなかったのです。
 当時、この集会の責任者であり、また、みことばを宣べ伝えていたのは、アイドリンゲンの姉妹会のルデヤ姉妹でした。ルデヤ姉妹は輝いている姉妹でした。喜びと平安に満た
されていたのです。ルデヤ姉妹の輝きは、確かに魅力的でした。また、宣べ伝えられたみ
ことばは、力あるものでした。
 そして、次のみことばによって、主は私を呼んで招かれたのです。イザヤ書43章1節です。
  「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは
  わたしのもの。」

私は、「私を贖われたお方、私を呼んでくださった主イエス様を、よりよく知りたい。この
イエス様に従いたい」と、切に望むようになりました。そして「神学校に行って宣教師と
なり、外国でイエス様を紹介したい」と望むようになったのですが、父親は反対しました。
「まず、職業を持つようになってからが望ましい」という意見だったからです。

 16歳の時から親元を離れて、学校の寮に住むようになりました。学校の近くにいる子
どもたちを集め、子ども会をやったり、トラクトを配ったりしました。そして、同級生のために、学校の中で集会を持つようになり、ある時からは、毎日2回も祈り会を持つようになったのです。この学校に通ったのは、4年間だったのですけれども、卒業する前に「べ
つに、神学校に行って、外国にまで行く必要はないのではないだろうか。ドイツでも、子
どもと学生たちに福音を宣べ伝えられたら、それでいいのではないだろうか」と、そうい
うふうに思うようになりました。けれども、心の平安がなかったのです。行きたくなかっ
たけれど、主のお考えは違ったから、仕方がなくて行くようになりました。
 私は、スイスにあるベアーテンベルクの神学校で学ぶようになりました。神学校を訪ね
て来る宣教師たちが次々と現われ、みな、もちろん自分の働いている国のために宣伝した
のです。けれど私は、「主の導きは、間違いなくアフリカである」と思ったのです。
 しかしある時、あるスイスの宣教師を通して、強く勧められたのです。すなわち彼は、「今は、アフリカよりも日本の方が、ずっと大切である」と言い、さらに何と言ったかと言いますと、「日本語を学ぶためには、メトシェラの歳、…彼は、969歳まで生きたのです…。メトシェラの歳、それから、ソロモン王様の知恵、また、ヨブの忍耐が必要である」と言ったのです。その時から、「あぁ、日本に行きたくない」と思うようになったのです。けれど、主の導きのために祈り続けました。1年後に、「主のお考えは、日本である」と確信するようになりました。イザヤ書30章21節のみことばが、道しるべとなりました。
   あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。…」
  と言うことばを聞く。

と。ですから、「行きたい」というよりも、「仕方がなくて行く」というようになったのです。それが50年前の話です。

 その時の宣教団体の目的は、「田舎で伝道する」ということでした。日本語学校を卒業し
てから、茨城県の那珂湊に住むようになり、そして9年の間に、百何十人の人々が洗礼まで導かれ、11人はいわゆる「献身」をして、神学校に行くようになったのです。
 私は、最も古い宣教師の1人だったから、いろいろな委員会に入るようになりました。
けれども、このような委員会が終わってから、私はもう、何日間も喜びのない状態になっ
てしまったのです。団体の考えは、「牧師なしに日本で働くことはできません。大きな宗教団体に入るべきです。会員を作ることは、やむを得ないことです。そうしないと、献金が
入らないからです」と、よく言われたのです。そして、「あなたの言っていることは分かり
ます。それこそ、聖書的です。けれど、日本でそういうふうに働こうと思っても、全く無
理です。うまくいくはずはないです」と。けれど、聖書は時代遅れのものではありません。
「主は、奇跡を行なうお方であり、信頼すると間違いなく、イエス様がご自分の教会を建
てる」と、確信するようになってから、団体のドイツの本部に、「半年後に団体から出ます」
と書いたのです。
 引っ越した時は、小さな5人の子どもがいました。今回来ている、長女であるハイデは、ちょうど7歳でした。スーシーは生まれてから6週間でした。団体から出ると、住まいがないし、もしかすると、ドイツからお金も全く来ない可能性があると分かりながら、人間的に考えれば、全くおかしい、馬鹿らしい態度をとり、団体から離れました。その時も、家内は、「心配せずに、主に頼ろう」と勧めてくれたのです。「団体の言う通りに従えないのならば、出るべきです」と。これが家内の意見でした。聖書に言われた通りです。
すなわち、
   良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。
   家と財産とは先祖から受け継ぐもの。思慮深い妻は主からのもの。

 田舎で伝道することは、私の楽しみだったのですけれど、今からどこで住むべきなのか、
どこで働くべきなのか、もちろん全く分かりませんでした。オランダの宣教師には、「ぜひ、
宇都宮に来てもらいたい。一緒に働きましょう」と頼まれました。けれど、何回も何回も宇都宮に行って住まいを探しても、うまくいかなかったのです。
 ちょうどその時、東京の世田谷区の、経堂の集会の責任者から、ある夜電話がありました。「あなたは、団体から離れて、集会と一緒に働きたいと聞きましたが、実は吉祥寺に古いボロ家なのですけれども、誰も住んでいない家があります。どうぞ、ただでもいいから、お使いになってください。けれども集会を始めない方がいいです。なぜならば、もう18年間も、6人の宣教師があの家に住んで、集会をやったのですけれど、導かれ救われた人は、1人もいません。住むためにはいいけれど、集会をやらない方がいいです。ですから、経堂まで来て、一緒に福音を宣べ伝えましょう」と。その時、平井兄姉を知るようになったのです。もちろん、お二人はまだ若くて、独身でした。

 けれど、近所にお住まいの3人の奥さんたちが、主に導かれるようになりました。それ
から早稲田の大学院生たちも、次々と導かれたのです。その中の1人は、蘇畑卓郎兄弟で
す。初めからの私の切なる願いとは、「自分が中心になりたくない。私がいてもいなくても、
うまくいきますように」というものでした。そのために、初めから祈り続けました。
 確かに、初めの頃は、私が司会しながら、オルガンを弾いて、聖書を読んで、祈って、
メッセージをしなくてはならなかったのです(笑)。けれども主は同労者を与えてくださいました。ピアノを上手く弾く人が与えられました。深谷とみえ姉妹です。可愛らしい19歳の女の子でした。今の、松見とみえ姉妹のことです(笑)。
 そして、当時のボロ家の屋根を新しくし、窓も全部新しくすることになったのです。集
会所は、2回大きくなるようになり、最後には全部壊され、今の建物ができるようになっ
たのです。建て始めた時は、ちょうど80万円しかなかったのです。けれども、建物がで
きた時、借金は結局なかったのです。本当は、あと3万円足りなかったのですけれど、私
たちは、「それは私たちが支払おう」と思って、もちろん払ったのです。けれども、2〜3週間経って、当時の会計で、今、横浜に住んでいる田中しげる兄弟が、謝りに来たのです。「実は、クリーニングにズボンを出したのですけれども、ズボンのポケットの中に献金の3万円が入っていたのです」と。

 田舎で働くことが大好きで、「何があっても東京には行きたくない」と思っていた者が、
東京まで導かれました。もし、宇都宮に住むようになったのなら、おそらくただ、宇都宮
の近辺だけで伝道するようになったでしょう。
 東京で導かれた大部分の兄弟姉妹は、東京で生まれた人々ではなく、田舎から来た人々
でした。そして、私たちが初めから強調したことは、「主は、あなたの救いだけではなく、
全家族の救いを望んでおられる」ということでした。そうするとやはり、田舎にまでも福音が運ばれなければならないのです。結果として、全国で集会が増えるようになり、主の恵みによってイエス様のものになった兄弟姉妹は、自分の家族・親戚・知り合いの方々のために、心から祈るようになったのです。

 23年前に、うちの娘であるリンデは、天に召されました。そして、リンデの死がきっ
かけとなり、当時の大部分の兄弟姉妹は、「自分のためではなく、イエス様のために生きた
い」と、望むようになりました。「永遠に残る実がなければ、人生とはいったい何なのでし
ょうか」と。
 リンデの切なる願いは、「主イエス様への道案内人になりたい。実を結びたい」というものでした。あらゆる夜・やみ・望みなき状態にも関わらず、リンデは次のことをしっかりと確信していました。すなわち、「イエス様こそ、私が必要としているお方です」と。「やみの中でも、イエス様は私の光です。望みなき状態の中でも、イエス様は私の希望です。苦しみの中にあっても、イエス様は私の喜びです。主イエス様の他に、私は何ものも、また、いかなる人をも必要としません」と。
 リンデが危篤状態の時、私はリンデの傍で祈りました。「イエス様。リンデはあなたのた
めに実を結びたかったのですけれど、今、何もできなくなりました。どうか、今から私を用いてください。実になっても、それは私のものではなく、リンデのものにしてください。もし、そうであれば安全なのです。なぜならば、リンデは自分のためには、何にも欲しくないと決めていたからです。そうすると、すべての栄光と誉れはあなただけのものになるからです」と。


 今までの50年間、イエス様は本当に、私たちの願うところと思うところの全てを超えて、豊かに恵んでくださり、7つの贈り物を与えてくださいました。

1. 主は、多くの兄弟姉妹をお与えになりました。北海道から沖縄までだけではなく、グ
 ァム島にも、バンコクにも、上海にも、またアメリカにも、カナダにも、主をほめたた
 えるようになった兄弟姉妹がいます。「主よ。人間を捕ることのできる漁師にしてくださ
 い」という祈りは、聞き届けられました。

2. 主は、兄弟姉妹を与えてくださっただけではなく、同労者をたくさんお与えになりま
 した。現在、みことばを宣べ伝えている兄弟たちは、185人です。大部分は仕事をし
 ながら、イエス様を紹介する者となったのです。犠牲なしにそれは、全く不可能です。みな、そのための切符も自分のお金で支払います。けれども、イエス様が祝福してくだされば、これこそ、すごい「恵み」なのではないでしょうか。
  この間、ある雑誌で次のようなことを読みました。「最近、多くの若い牧師さんたちが、
 がっかりして牧師をやめるようになっています。また、多くの宣教団体でも、宣教師は65歳になると定年になって国に帰らなければなりません。そして、新しい宣教師を送るのも問題です。お金がかかるからです」と。
  185人の同労者が与えられたのは、本当に「恵み」そのものです。言うまでもなく、
 兄弟方の奥さんである姉妹たちも、同じ犠牲を払っています。主に導かれる人々の大部
 分は、姉妹たちを通して案内されただけではなく、姉妹たちを通して、いわゆるアフタ
 ーケアをされています。

3. 主は、この家を贈られました。すなわち、この御代田の国際福音センターです。この
 建物も、確かに考えられない、主からいただいた贈り物です。「どうしてこの建物ができ
 たのか」と言いますと、主が働いてくださったからです。主ご自身が、兄弟姉妹の心を
 動かして「献金したい」というよりも、「犠牲を払いたい。犠牲になりたい」と思うよう
 にされたのです。「恵み」そのものです。
  今まで多くの悩んでいた、重荷を負っている人々は、ここで紹介されたイエス様を信
 じ、解放され、新しい人生の内容や目的を持つようになりました。イエス様は、本当に
 すごいお方です。決して失望させられない、「救い主」です。

4. 主は、集会の合唱団をくださいました。これもやはり、主の贈り物なのではないでし
 ょうか。すべては、私たちが計画したのではなく、知らないうちになっただけなのです。
 「恵み」とは、そういうものなのです。300人近くの兄弟姉妹が、歌ったり楽器を弾
 いたりするようになっています。未信者として入り、そして主に出会って、救われた者として、今、「イエス様だけに、栄光を帰してもらいたい」と思うようになりました。素晴らしい贈り物なのではないでしょうか。

5. 主は、『日々の歌』という新しい賛美歌を与えられました。このことも、主からの贈り
 物であり、「恵み」です。歌を通して、悪霊が自分の影響を及ぼすようになるか、あるい
 は、主の御霊が主イエス様の栄光をお現わしになるかのどちらかです。感謝しながら、
 心からほめたたえることができますように。『日々の歌』が、本当の意味で、私たちの毎
 日の感謝の現われとなり、主イエス様への崇拝の導き手となりますように。

6. 今までに多くの本が出されました。これも、べつに計画したものではなかったのです。
 成っただけです。従って、主からの「恵み」です。100万冊以上の本が印刷されるよ
 うになり、その中で、600人以上の兄弟姉妹がイエス様を紹介し、証ししたのです。
  また、重田定義兄の出された8冊の分かりやすいメッセージ集、それから青柳惇兄弟
 の出された本が、大いに用いられていることも、やはり主の考えられない「恵み」の現
 われです。天国に行ってから初めて、主はいかに働かれたか、本をいかにお用いになら
 れたか分かるようになります。

7.『実を結ぶいのち』という本も、10の言葉に訳され、出たのです。これも、誰も計画
 しなかったし、成っただけです。すなわち、主からの「恵み」です。ドイツ語でも、何
 回も印刷されましたが、近いうちにまた出すつもりです。今日も来ておられるクラウス・
 ローゼ兄の話によると、そのためには、1万9千ユーロが必要になりそうですから、祈
 りましょう。

もう一回言いたいのです。「すべては、自分で考えたことではなかった」ということです。
主がお働きになったから成っただけです。すなわち、「恵み」とはそういうものなのです。

 ヤコブの手紙5章16節から、ちょっとお読みいたします。
   あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるため
  です。義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人
  でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。
  そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

「祈る」と、「実になる」ということです。けれども、この「実」も、単なる「恵み」に過
ぎません。サムエル記第一の7章12節に、次のように書いてあります。
   そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベ
  ン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。

 有名な音楽家である、ヨハン・セバスチャン・バッハは、音楽を作ると、まずラテン語で、「Sori Deo Gloria」すなわち、「主にだけ、栄光あれ」と、書いたのです。
 私も、パウロのように言いたいものです。ピリピ人への手紙4章20節。
   どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

そして、テモテ第一の手紙1章17節。
   どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと
  栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。

パウロは、刑務所の中で導かれた主の「恵み」によって、救われた兄弟姉妹に、次のよう
に書き送ったのです。ピリピ人への手紙4章19節。
   私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要
  をすべて満たしてくださいます。

これこそが、私たちの経験でもあります。すなわち、私たちの神は、キリスト・イエスに
あるご自分の栄光の富を持って、50年間、私たちの必要をすべて満たしてくださいまし
た。「Sori Deo Gloria」です。すなわち「主にだけ、栄光あれ」。

 聖書は次のように言っています。これも、心から言いたいのです。黙示録1章5〜6節。
   イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、ま
  た、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。
  キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。

また、詩篇の作者であるダビデは、次のように言ったのです。詩篇95篇1節と6節。
   さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感
  謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。主は大いな
  る神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
   来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざ
  まずこう。

最後に、もう1箇所、ローマ人への手紙の16章25から27節を読んで、終わりたいと思います。
   私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠
  されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、
  信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなた
  がたを堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによ
  って、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。

                                      了



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◆メッセージ(ベック兄)

※一部、テープの転換による不明部分あり

神のみことばは神のみことばである(5) 2006. 4. 18
神のみことばは神のみことばである(4) 2006. 4. 11
神のみことばは神のみことばである(3) 2006. 4. 4
神のみことばは神のみことばである(2) 2006. 3. 21
家族の救い 2006. 3. 19
神のみことばは神のみことばである(1) 2006. 3. 14
主イエスは神の子キリストである(4) 2006. 3. 7
主イエスは神の子キリストである(3) 2006. 2. 28
主イエスは神の子キリストである(2) 2006. 2. 14
主イエスは神の子キリストである(1) 2006. 2. 7
勝利の生活の秘訣 2006. 1. 24
イエス・キリストのからだ 2006. 1. 17
主の永遠からの予定 2006. 1. 10
元旦メッセージ 2006. 1. 1


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