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メ ッ セ ー ジ ・ 証 し 集


主イエスは神の子キリストである(2)
   
2006.2.14(火)
ベック兄メッセージ(メモ)

 
ヨハネの手紙・第一 5章20節
 しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

ヨハネの福音書 20章31節

 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。


司会の兄弟が言われましたように、「バンコクよろこびの集い」は、本当に祝福された集会でした。昔はいつも家内と一緒に二人だけで出かけたのですが、最近はどこへ行くのも、何十人かの兄弟姉妹たちと一緒に出かけられますので、やはり嬉しいです。今回も三十何人かで一緒に行くことができ、ともにみことばを宣べ伝えたり、証ししたりして、主イエス様を紹介することは本当に大きな恵みです。三人も洗礼を受けるようになりました。また、ゆっくり話し合うことができた方は七人でした。彼らは今回主の御名を呼び求めたのです。「主の御名を呼び求める者は救われる」と書いてあります。そのときに救われたかどうか、あるいは救いがいつになるかわかりませんが、私たちは種だけ蒔けば、主が刈り取りをしてくださいます。責任を取って導いてくださいます。イエス様を紹介することこそが、信じる者の使命です。

先週始まったテーマは、『主イエスは神の子キリストである』。すなわち約束された救い
主であり、罪の問題を解決してくださったお方であり、そして将来、この世界を根本的に新しくなさるお方です。確かに人間はいろいろなことで悩みます。苦しみます。けれども
それに対する父なる神のお答えはいつも同じです。すなわち「イエス様」です。いろいろな願いがありますが、父はそれにお応えになる時、いつもイエス様をお示しになります。そのほかのどのような方法もお取りになりません。

聖書は、ひとつの定まった目的をもって書かれたものです。
先日お話しましたように、聖書は
1.イエス様の神性を確証します。
2.人に永遠のいのちの確信を与えます。
3.人にまことの希望を与えます。

 聖書に、「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなた
がたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るため
である」とあります。聖書を読むと、イエス様は確かに人間的な外形をとられた神の御子であったことがよくわかります。世界が造られる先に、万物より前にイエス様は父なる神のみそばで栄光をおもちになっていた、と聖書ははっきり記しているのです。

「イエス様は生ける神の御子である」。それは永遠の事実です。イエス様の神性について、先週、私たちはいくつかの証しとしるしを考えてまいりました。七つの証しがあります。
1.一番大切な証しとは、もちろん生けるまことの神ご自身の証しです。
マタイの福音書 3章16、17節

 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

父の証しとはこれなのです。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と。

2.次の大切な証しは、言うまでもなくイエス様ご自身の証しです。聖書は言っています。
ルカの福音書 22章69、70節

「…しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。」と言われた。

3.続いてバプテスマのヨハネの証しです。
ヨハネの福音書 1章34節

 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。

4.また、イエス様のなされたみわざです。神の子でなければこのようなみわざを行なうことはできません。旧約聖書も証ししています。イエス様は次のように言われました。
ヨハネの福音書 5章39節

 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。

聖書の内容とは、預言された救い主、この世に実際に来られた救い主、救いのみわざをなさった救い主です。
5.それから、聖霊も証ししますし、
6.さらに言うまでもなく、イエス様を信じる者たちはやはりイエス様を証しして紹介し
たのです。
7.しかしそれだけではなく、イエス様の最大の敵である悪魔も、悪霊も、イエス様は神の子であることを認めざるを得なかったのです。
使徒の働き 19章15節前半

 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っている。」

とさえ答えたのです。
神の子であるイエス様はひとつの罪も犯したことがない、と聖書は語っています。

イエス様といっしょに三年間生活した弟子たちの証しもやはり大切でしょう。何ヶ月間、何年間、だれかといっしょに住むとわかります。
・ヨハネは何と言ったかと言いますと、「彼には何ら罪がない」と言いましたし、
・ペテロは、「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった」と言っています。

イエス様の弟子だけではなく、イエス様の敵も同じことを言わざるを得なかったのです。
・当時のピラトは、イエス様にひとつの罪も認めることができませんでした。
・ピラトの妻は、イエス様を、「義人、正しいお方である」と呼んだのです。
・イエス様を裏切ったユダは、「私は罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯した」
と叫んだのです。
・ヘロデ王は、イエス様について、「この人は何ら死に当たるようなことはしていない」と
言ったのです。
・ともに十字架に架(か)かった強盗の一人は犯罪人ですが、「この方は何も悪いことをしたのではない」と言いました。
・イエス様を十字架につけたローマ軍の百率長は、「まことにこの人は神の子であった」と
告白したのです。

イエス様の死なれた翌日、主の二人の弟子が、エマオという村へ向かって歩いて行きました。今までそばにいてくださったイエス様が十字架上で死んでしまわれたので、二人は大変な悲しみに陥りました。なぜイエス様が死なれたのか、どこへ行かれたのかさっぱりわからず、今まで愛し頼っていたイエス様のことを思い出し、悲しみながら歩いていました。この二人の弟子はこれまでイエス様といっしょに生活してきましたので、イエス様が奇蹟を行ない、病人を癒し、死人をよみがえらせ、あらゆる良いわざを行なわれたのち、十字架につけられて死なれたことを一部始終よく知っていました。けれどイエス様を失った二人は、今望みを全部失くし、喜びもなく絶望したのでした。しかしイエス様は十字架に架(か)かって死んだままではありませんでした。三日目に神のひとり子の力をもって生き返られました。

イエス様が神のみ子である証拠とはいったいどのようなものなのでしょうか。
今まで私たちはイエス様の神性についていくつかの証しとしるしを考えてきましたが、この証しとしるしだけが、イエス様の神性の証拠ではないのです。
イエス様の神性の証拠は二つです。すなわち、
一番目に、イエス様のよみがえり。
二番目に、全くイエス様の御姿に似た者に変えられた人々です。

ローマ書を読んでみましょう。
ローマ人への手紙 1章1節から6節

 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、―この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。―

と書いてあります。

主イエス様のよみがえりは、ご自分が神の子である事実の証明です。一番大きな奇蹟は
イエス様のよみがえりの奇蹟です。主イエス様のよみがえりは、世界歴史の中で一番大きな出来事です。主イエス様のよみがえりは、イエス様だけが救いに至る道であるという、一番大きな証拠です。

マホメッドは人類を救おうと思ったでしょう。孔子も人類を救おうと願ったでしょう。
ブッダ、仏も、人類を救い解放しようと努力したかもしれませんが、彼らは人間であり、
罪人でした。聖書は言っています。「すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込ん
だ」と。マホメッド、孔子、釈迦、この人たちは罪人でしたから死んだのです。すなわち彼らは自分の罪のために死んだのです。自分の罪のために死んだ者が、人を救いに導けるはずがありません。マホメッドはよみがえりませんでした。孔子もよみがえることはなく、釈迦も死んだまま。イエス様だけがよみがえられました。イエス様は生きておられます。

もしイエス様がよみがえられなかったなら、イエス様は神の御子ではなく、単なる人間に過ぎなかったのです。主イエス様こそが、生きておられるお方です。この地上に生きておられたとき、はっきりと「わたしは神の子である」と言われました。主イエス様は神の御子としてまことの神だけがなし得るわざをなされたのです。けれどもパリサイ人たちはイエス様が神の御子であることを断固として信じませんでした。当時の聖書学者たちは、イエス様が本当に神の子であるというしるしを求めたのです。

イエス様の答えは次のようなものでした。
マタイの福音書 12章39節、40節

 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、 同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。…」

主イエス様は、「わたしがよみがえったなら、わたしは神の子である」と言われました。この意味は、「わたしのよみがえりは、わたしが神の子であることの証拠です」。そして、イエス様は実際に復活なさいました。なぜなら、神の御子だったからです。

よみがえりには十二の事実があります。それはよみがえられたイエス様に出会った人々がいるからです。
1.エルサレムで復活なさったイエス様は、マグダラのマリヤにみ姿を現わされたのです。
マルコの福音書 16章9節

 さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。

ペテロ、ヨハネ、ヤコブたちではなく、まずこのマグダラのマリヤにイエス様はみ姿
を現わされたのです。

2.同じくエルサレムにいるほかの婦人たちに、イエス様はご自身を現わされたのです。
マタイの福音書 28章9節

 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。 彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。

3.ペテロが主イエス様を見ました。あのよみがえりの書の中で、ひとことばだけです。
コリント人への手紙・第一 15章5節前半

 また、ケパに現われた。

このケパとは、もちろんペテロでした。

4.二人の弟子がエマオで主に出会いました。二人は当然イエス様をよく知っていました
し、よく交わりました。けれども復活なさったイエス様に出会ったときには、わからな
かったのです。
ルカの福音書 24章15節から31節

 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりではなく、その事があってから三日目になりますが、また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。それで、彼らが、「いっしょにお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。

「モーセおよびすべての預言者」とは、旧約聖書全体のことです。
暗い顔つきだった二人は、喜びに満たされたに違いありません。「イエス様は生きておられる」と。

5.イエス様は、トマスを除いた十人の弟子に、エルサレムでご自身を現わされました。
ヨハネの福音書 20章19節、20節

 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。

言い表わせないほどの喜びだったことでしょう。「主は生きておられる」と。

6.トマスを加えた十一人の弟子たちに、イエス様はみ姿を現わされました。
ヨハネの福音書 20章26節、27節

 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。 手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

この出会いによって、トマスは完全に変えられるようになったのです。「主は生きておられる」。これこそが彼の喜びの源になったのです。

7.ガリラヤの海辺で魚をとっている七人の弟子たちに、イエス様はご自身を現わされました。
ヨハネの福音書 21章1節から24節

 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、 あなたの行きたくない所に連れて行きます。」これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか。」と言った者である。ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。」と言われたのである。これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。

8.ガリラヤの山の上にいる十一人の弟子に、イエス様はご自身を現わされたのです。
マタイの福音書 28章16節、17節

 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。

9.イエス様は五百人以上の兄弟たちにも、ご自身を現わされたのです。
コリント人への手紙・第一 15章6節

 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

しかしイエス様に出会った大部分の人々は、当時まだ生きていたので、確かめようと思ったならばもちろん出来たのです。

10.イエス様は肉の弟であるヤコブに、お会いになりました。
コリント人への手紙・第一 15章7節

 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。


11.イエス様は昇天される前に、十一人の弟子とともにおられたのです。
使徒の働き 1章2節から9節

 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。


12.のちにイエス様はパウロにもご自身を現わされました。
コリント人への手紙・第一 15章8節

 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。

使徒行伝の中で、パウロは三回も証ししたのです。
使徒の働き 9章1節から6節

 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」

パウロのショックはどのようなものであったか、想像することができません。けれども彼は、瞬間的にわかりました。「イエスは生きておられる。私の聖書の勉強はまったく役に立たなかった。聖書の神を信じたつもりだったけれど、私は目くらにされた者で、神の敵だった」と認めざるを得なかったのです。

このようによみがえりの主イエス様に出会った人々は、イエス様のよみがえりの確かな証拠なのではないでしょうか。幸いなことに、こんにちの人々もイエス様のよみがえりの力を経験することができます。自分のわがまま、過ち、罪をイエス様のところへもって行き、イエス様から罪の赦しをいただいた人々はみな、イエス様は神の子であると確信しています。もちろん理解できない場合もありますし、理解できないので説明することもできないのですが、確信が与えられているのです。

つまりイエス様を信じることによって心が自由になり、まことの喜びを得るようになり、生ける希望を持つようになったからなのです。信じる者の中に住んでおられ、また生きておられるイエス様ご自身が、イエス様のよみがえりの一番大きな証拠ではないでしょうか。



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更新履歴


メッセージ・証し集インデックスページ

◆メッセージ(ベック兄)

※一部、テープの転換による不明部分あり

神のみことばは神のみことばである(5) 2006. 4. 18
神のみことばは神のみことばである(4) 2006. 4. 11
神のみことばは神のみことばである(3) 2006. 4. 4
神のみことばは神のみことばである(2) 2006. 3. 21
家族の救い 2006. 3. 19
神のみことばは神のみことばである(1) 2006. 3. 14
主イエスは神の子キリストである(4) 2006. 3. 7
主イエスは神の子キリストである(3) 2006. 2. 28
主イエスは神の子キリストである(2) 2006. 2. 14
主イエスは神の子キリストである(1) 2006. 2. 7
勝利の生活の秘訣 2006. 1. 24
イエス・キリストのからだ 2006. 1. 17
主の永遠からの予定 2006. 1. 10
元旦メッセージ 2006. 1. 1


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