主にゆだねられた人生
2005.4.5(火)
ベック兄メッセージ(メモ)
引用聖句
詩篇 37篇3節から11節
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主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
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詩篇 37篇34節から40節
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主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。
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今読んでいただきました箇所は、本当に素晴らしいみことばそのものなのではないでし
ょうか。みことばは、元気のもとです。4節と5節は、みな暗記しているのではないかと思います。大変素晴らしい約束です。
詩篇 37篇4節、5節
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主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
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今朝は、「イエス様にゆだねられた人生」について、一緒に考えたいと思います。
イエス様に信頼する者とは、いったいどのような兄弟姉妹なのでしょうか。
イエス様に信頼する者の人生とは、どのような生活なのでしょうか。
イエス様に信頼する者の人生は、聖書の中でいろいろと記されています。まず、七つの
箇所を開きましょう。
1.ヨハネ伝7章38節です。イエス様の素晴らしい約束です。ここで、イエス様は大声
で叫ばれたのです。
ヨハネの福音書 7章38節
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「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
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もちろんイエス様を信じることとは、今まで何度も言いましたように、イエス様のことが分かることではありません。イエス様のことを本当の意味で分かっている人間はいないからです。そうすると、イエス様を信じることとは、どういうことなのでしょうか。
それは、イエス様の約束を自分のものにすることです。
「信じる者は、泉のような者になる。生ける水の川が流れ出る」とあります。
このことばによると、イエス様を信じる者、イエス様に自分自身をゆだねる者の人生は、
「溢れるばかりの人生」です。そのような人たちでも、確かにいろいろなことで悩んでいます。(悩んでいない人はいないからです。)悩みながらも大いに喜ぶことができるということは、考えられないことですけれど、これは主の約束だからです。
2.同じくヨハネ伝の10章10節です。
ヨハネの福音書 10章10節後半
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「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」 |
人間とは、聖書によりますとみな、迷える羊です。迷える羊は、生まれてから死ぬまで、
迷える羊です。したがって、迷える羊にとって、どうしても自分のことを守り導く羊飼いが、必要なのです。
イエス様は、「わたしは唯一のまことの羊飼いであり、羊のためにいのちを捨てます」と仰せになりました。この箇所によると、イエス様に信頼する者の人生は、「豊かな人生」です。そのような人たちは、悩みながらも、「幸せ」と言うことができるのです。
3.同じくヨハネ伝の15章8節です。
ヨハネの福音書 15章8節
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「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」
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このみことばによると、イエス様につながっている者の人生は、「多くの実を結ぶ人生」です。誰も、的外れな人生を送りたくはないでしょう。多くの人たちは成功するかもしれません。けれども、残る実がなければ、的外れです。
4.ローマ書の12章1節です。
ローマ人への手紙 12章1節
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私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
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このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、「イエス様に明け渡された人生」です。「もう自分のために生きたくない。つまらない。満足がない」と分かった人たちは、すべてをイエス様に明け渡すようになります。
5.コリント第二の手紙6章17節です。パウロはこのみことばを、コリントにいる兄弟姉妹に書き送ったのです。
コリント人への手紙・第二 6章17節
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「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、… |
このみことばによると、主イエス様に信頼する者の人生は、「この世から分離され、聖め分かたれた人生」です。
6.ガラテヤ書2章20節です。よく知られている箇所です。ここでパウロは自分の証し
として、また祝福された人生の秘訣として、次のように書いたのです。
ガラテヤ人への手紙 2章20節前半
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「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
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「私は大切ではない。イエス様が中心になれば、私は嬉しい」と。このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、「キリストとともに十字架につけられた人生」です。
バプテスマのヨハネは、「私の喜びは満たされている」と告白しただけではなく、その秘訣についても言ったのです。即ち、
ヨハネの福音書 3章30節
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「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」 |
7.テモテ第二の手紙の4章7節と8節です。パウロが殉教の死を遂げる直前の、最期に書いた手紙です。
テモテへの手紙・第二 4章7節、8節
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私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
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「主の現われを、主の再臨を慕っている者に授けられる」とあります。
このみことばによると、イエス様に信頼する者の人生は、「勝利の人生」であります。
これらの箇所を見るとはっきり分かります。「主にゆだねられた人生の大切さ」です。
そのために大切なのは、次の三つのことではないかと思います。
1.「意識的に行なわれる行動」です。初めに読んでいただきました詩篇の箇所です。
詩篇 37篇5節
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あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。 |
ここで、「ゆだねる」ということは、信頼すること、明け渡すこと、手離すことを意味し
ます。自分の道、また人生を、イエス様にゆだね、自分自身を主に明け渡す者は、このことを一瞬のうちに行ないます。私たちは、贈り物を渡すとき、そのために多くの時間は要
らないでしょう。私たちは贈り物を渡し、あなたはそれを受け取ります。「それで終わり」。
簡単です。決して難しくありません。意識的に行なわれる行動です。
2.「主に信頼せよ」。これもまた明白な命令です。
大切なのは、短期間に行なわれる行動ではなく、継続的に続けられるべき態度です。主イエス様にすべてをゆだねて行なわれた行動のあとで、絶えざる信頼の態度が持ち続けられなければなりません。
ここで大切なのは、意識的にイエス様に拠り頼むことであり、私たちの全信頼はイエス
様に集中されなければなりません。私たちが、私たちの道、全生涯をイエス様にゆだねた
あと、即ち、この意識的に行なわれた行動のあとから、私たちの人生の終わりに至るまで、
意識的な信頼の態度が続けられなければなりません。
3.素晴らしい約束は、意識的に主にゆだね、意識的に主に全く信頼を置く人たちに与えられます。「主は成し遂げてくださる」と約束されています。「主はしてくださる」。これは、
決して破られることのない約束です。
手離すこと、イエス様に明け渡すことは、一瞬の行動です。主に拠り頼み、意識的に信
頼することは、人生の終わりに至るまで持ち続けられなければならない態度です。
そして、主イエス様は、「みこころは必ず実現される」と約束しておいでになります。即
ち、主イエス様ご自身が成し遂げてくださり、イエス様ご自身が、奇蹟を成してくださる
お方であることを証明してくださっているのです。
例えば、あなたが一億円を相続し、そのお金があなたの家にあると考えてみてください。
あなたは外出するとき、絶えず心配するのではないでしょうか。なぜなら、そのお金が安
全であるかどうか分からないからです。一人の友が、「そのお金をあの銀行、或いは、この
銀行に預けると良い。そこでは年率10%の利子をもらえる」と提案するかもしれません。
あなたは喜んでその提案を受け入れ、そのお金を預け入れるでしょう。そこで、あなたは、安心して銀行から出て行くはずです。(言うまでもなく、10%の利子をもらえる銀行は、日本にはありませんが。(笑) 夢の世界の話です。)
あなたは一億円というような大金を持ってはいないでしょう。けれど、あなたは、それ以上のもの、即ち、不滅のたましいを持っています。
イエス様は、マタイ伝16章26節で言われました。
マタイの福音書 16章26節前半
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「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」
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「まことのいのち」とは、「永遠のいのち」、「イエス様のいのち」です。
不滅のたましいは、自分の手の中にあるのでしょうか。それとも、それをすでにイエス
様にゆだねたのでしょうか。それがまだ自分の手の中にあるなら、極めて危険な状況にあ
ります。ですから、イエス様は呼びかけておいでになります。
マタイの福音書 11章28節
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「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
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聖書の中で、最も素晴らしいことばの一つではないでしょうか。もちろん、疲れている
人たちだけです。重荷を負っている人たちだけが招かれています。ほかの人たちは、どう
せ行こうとしないでしょう。必要ないからです。ですから、イエス様のみもとに行くようにと、いろいろな重荷や悩みを、恵みとして与えてくださるのです。
箴言の23章26節で、ソロモン王は、次のように主の口として言ったのです。
箴言 23章26節前半
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わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。 |
「わが子よ」と、単数形になっています。これは全く、主の個人的な呼びかけです。主は、
だれに対しても無関心ではあられません。
一つのことは、間違いなく確実です。即ち、「自分の人生を主にゆだね、自分自身を主に明け渡す者は、決して後悔しない」。というのは、主イエス様ご自身が、その責任を取ってくださるからです。
ヨハネの福音書 6章37節前半
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「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」 |
「決して」は、決してです。へりくだれば、イエス様は、必ず永久的に受け入れてくださ
います。何でもおできになる方は、次のように願っておられます。「わたしにゆだねなさい。わたしにあなたの人生を明け渡しなさい」と。
イエス様は、決して強制なさいません。けれど、一人一人が、意識的にこの行動をとり、自分自身を主イエス様にゆだねることを待っておいでになります。
私たちは、すでにそれを行なったのでしょうか。このことは一瞬のうちに行なわれます。
もしそのことをまだ行なっていなかったのなら、今日、そのことを行ない、自分の聖書に次のように書き込んでください。
「今日、何月何日、私は私の道、私の全生涯を、私を愛し、ご自身のいのちを私のために捨ててくださった主イエス様にゆだねました」と。
これは、意識的に行なわれるべき行動です。私たちはそれをすでに行なったのでしょうか。もちろん、そのことは、ことの初めにすぎません。
あなたが一億円を銀行に預けたなら、あなたのお金は今や安全確実で、毎年10%の利子を受け取ることができるという確信を持って生活します。しかし私たちが、自分の人生を主イエス様にゆだねたなら、私たちは、「永遠に安全である」と知ることができます。
イエス様は次のように約束してくださいました。ヨハネ伝10章の27節と28節です。絶えず覚えるべきことばなのではないでしょうか。なぜなら、多くの人たちが、「私はもう駄目だ」と思っているからです。
ヨハネの福音書 10章27節、28節
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「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」 |
「決して滅びることがない。だれも奪い去ることができない」とあります。
イエス様が、私たちに教えたいと思っておられる最も大切な経験の一つは、「主に完全に信頼できる」という事実です。イエス様はただ単に救ってくださるだけではありません。イエス様は、救ってくださったすべての人を守ってくださいます。決して滅びません。
また、ペテロも、当時の悩み苦しんでいる人たちに、次のように書いたのです。これもよく知られている箇所ですが、素晴らしい励ましと勇気を与えるみことばです。
ペテロの手紙・第一 5章7節
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あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 |
多くの人は、「私なんて、いてもいなくてもよい」と考えます。とんでもありません。
主は、あなたの悩み、苦しみを全部知っておられるだけではなく、心配してくださるお方です。私たちが、自分の道、全生涯をイエス様にゆだねたなら、イエス様の刺し通された御手のうちで、私たちは確実に守られ、安全であるということを知ることができます。
最も大切なことは、日々、一瞬一瞬、イエス様に完全に信頼すること、即ち、もはや何ものも自分の手で獲得したいと思わないこと、もはや思い煩ったり、心配したりしないことです。こうした信頼の態度は、主イエス様に栄光を帰します。
パウロはこの態度を取りました。やはり最後に書かれた手紙の中の素晴らしい証しです。
テモテへの手紙・第二 1章12節後半
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私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
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このように言える人こそが、幸せなのではないでしょうか。「私は、いろいろ学んだことをよく知っている」と彼は言っていないのです。「私は、自分の信じて来た方を、即ち、主イエス様をよく知っています。ですから、その方は、私を守ってくださることができると
確信しています」と言っているのです。
ヨハネの福音書 1章12節
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この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
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「この方を受け入れた人々」とは、「主にゆだね、自分を主に明け渡した人々」です。
イエス様を自分の人生の中に受け入れた者は、主のものであり、主のものであり続けるのです。主イエス様の御手の内に守られ、安全であり続けます。自分の道を主にゆだね、絶えず主イエス様に信頼する者は、イエス様が成し遂げてくださることを経験します。
イエス様は私たちを目標に導いてくださいます。ご自身の御約束を守ってくださいます。
みことばを必ず守っていてくださるお方です。イエス様は信頼できるお方です。イエス様
は、間違いなく成し遂げてくださるお方です。銀行は、10%もの利子をくれるかもしれませんが、天におられる父なる神は、それ以上のものを与えてくださり、100%の利子を与えてくださいます。マタイ伝19章を読むと分かります。
マタイの福音書 19章27節から29節
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そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。」 |
初めに読んでいただきました詩篇の37篇では、さらに三つのことが指摘されています。
1.1節です。
詩篇 37篇1節
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悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。 |
即ち、「腹を立てるな。ねたみを起こすな」と指摘されています。
私たちがほかの人を見るとき、そのような状態になりやすいのです。けれど、私たちが自分の人生を主にゆだねると、主は、もちろん、責任を取って導いてくださいます。
イザヤ書の40章のみことばには何が書いてあるかといいますと、「私たちがすべてを主にゆだねると、主は責任を取ってくださる」ということなのです。
イザヤ書 40章11節
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主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に小羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。
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また、
イザヤ書 53章4節前半
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まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。 |
もう一箇所、イエス様は、弟子たちを励ますために、次のようにおっしゃいました。
ヨハネの福音書 14章1節から3節
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「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」
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2.11節です。
詩篇 37篇11節
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しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
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とあります。
イザヤ書の26章の3節、4節も、似ている内容なのではないかと思います。
イザヤ書 26章3節、4節
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志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。
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「意識的に、主イエス様に自分の全生涯を明け渡し、イエス様に全き信頼をおくなら、人のすべての平安に勝る主ご自身の平安が、私たちの心と思いを主イエス様にあって守ってくださる」と約束されています。
私たちが、私たちの人生を主イエス様の御手に明け渡すなら、私たちのために刺し通されたイエス様の御手は、もはや決して私たちを離しません。
ヘブル人への手紙にも、似ている約束が与えられています。
ヘブル人への手紙 13章5節後半から6節
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主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
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この一節だけを見ても分かります。みことばの大切さです。
私たちは、なぜ確信を持つことができるのでしょうか。主は、嘘を知らないお方です。真理そのものであられるイエス様は、「わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない」と仰せになっています。
「主は離れてしまわれた。私は捨てられている」と思う人が確かにいます。けれどこれは悪魔のしわざです。主は、「わたしは決して捨てない」と言われたからこそ、私たちは動かない確信を持つことができます。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が私に対して何ができましょう」と。
3.最後に、イエス様によって完全な満足が約束されています。4節です。
詩篇 37篇4節
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主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 |
イエス様との交わりは、私たちに完全な満足を与えてくださいます。私たちの喜びと私
たちの平安は、目に見える世界とは無関係です。イエス様ご自身が、私たちの喜びと満足
の源です。イエス様は、私たちの切なる願いをすべて満たしてくださり、主イエス様を知
ること、主イエス様を持つことは、私たちの永遠の幸せとなります。
自分をイエス様に明け渡し、イエス様に信頼しましょう。そうすれば、イエス様は、私
たちの心が願うものを、私たちに間違いなく与えてくださいます。
イエス様は成し遂げてくださり、すべて素晴らしいことを行なわれるお方であることを、新たに知ることができます。
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